ヨガのお話しは、不定期でブログで更新しています。 


4月のヨガのお話。

 

だいぶ暖かくなってまいりましたね。新生活にも、大分慣れてきた頃でしょうか。

 

ヨガの根本経典ヨーガスートラに下記の言葉があります。

 

  否定的想念によってかく乱されたときは、反対のもの「肯定的想念」が想念されるべきである。それがプラティパクシャ・バーヴァナである。

 

肯定的想念・プラティパクシャ・バーヴァナとは、「ポジティブな考え方」という意味です。ネガティブな考えが起こりそうになった時、反対の想念、つまりポジティブな捉え方を見つけてみることで物事の見え方が変わってくるという教えです。

 

さて、我が息子、4月で晴れて小学生になりました。横浜市では、放課後に学校の一室を遊び場として提供てくれるというシステムがあります。息子は、どうやらそこのスタッフの方々が苦手な様子。規則に厳しく、子供からしたら「怖い」ようです。毎回行くたびにしょんぼりしている息子をみて、私までなんだかがっかり、ネガティブな気持になってしまいました。楽しんでもらいたいのに・・・。

 

「怖い」「厳しい」大人がいる=子供は好き勝手できない=子供同士のいじめなどはおきずらいのではないか。規則を守れる子供になれるのでは。ポジティブに考えよう!と見方を変える事で、しょんぼりしている息子をみても心が乱れなくなりました。「楽しんでほしいのに」という結果に執着をしてしまうことも、ヨガの教え「離欲」に反していますしね。息子にも、厳しい大人のルールを知る、というダルマ(天命)をしっかりと全うしてもらいたいものです。

 

私達は、どうしても自分が望まない現実が目の前に現れたとき、否定的な考えによって乱されてしまいがちです。しかし肯定的な考え・ポジティブな面を探すことが出来れば、物事の見え方が全く変わってくることがあります。

 

私達の周りにあるもの、起こる事象は、常にフェアです。そこに、「良い」「悪い」と色づけをしてしまっているのは、私達の心です。私達の心ひとつで、周りの世界は変える事が出来ます。目の前の世界は、自分自信の内側を外に写した写し鏡なのです。キラキラ輝いた世界を持っているひとは、内面も素晴らしく輝いているはず。私達の内側には、神聖な神様が宿っている、そのことを忘れないでください。

Rie

 


3月のヨガのお話。

 

 私は、子供のころから酷い人見知りのあがり症でした。学校につくと、声が出なくなってしまい、日直で人前に立つのが嫌で学校をずる休みしたほどです。 根本的な性質は大人になっても変わらず、面接や会議で人前に出て、名前を発することにすら苦痛を感じていました。 

 

ヨガの経典ヨーガスートラの中に次のような言葉があります。

「苦行によって、身体と感覚の不浄が消え、超自然力が得られる。」

 

苦行(サンスクリット語でタパス)を受け入れることで、心の清浄を堅固にすることが出来ると言っています。 私達は、何かを得ようとするとき、それが辛く苦しいと感じる事があります。 たとえば、強固な肉体を手に入れるためにハードなトレーニングを積んで筋肉を鍛えるとき。大学受験の為に趣味や遊びを封印してひたすら勉学に励むとき。 ただし、それを成し遂げた時、堅固な基礎が出来上がります。 

 

私にとってのタパスは、「人前にたつ」ことでした。 ヨガが大好きで、いづれ教えたいが、複数の生徒さんの前で話をする、なんて絶対に不可能!と私は感じていました。ところが、結果にとらわれる事なく、自分のやるべきこと(ダルマ)に専心し、ひたすらにタパスを受け入れることで、克服しつつあります。 人前で名前を言うことすら緊張してしまう私でしたが、今は月に数回、ヨガのマイクラスで指導を出来るようになりました。 それは、ヨガクラス中のみではなく、話すという行為に対する自信から、引いては自己肯定の意識へと結びついています。 そう、結びつき=繋がり=yogaです。 ヨガ哲学を生活に取り入れることは、苦手だった分野との「つながり」を増やし、大丈夫な分野をどんどん増やしていくことです。 そして、なにが起きても心穏やかな自分を手に入れること、それがヨガを行う目的でありヨガの定義でもあります。苦手な分野にこそ、積極的に飛び込んでタパスを受け入れることは、結果的には自分を楽にしてくれるのです。

Rie


2月のヨガのお話。

 

 先月に引き続きアニメのお話になってしまって恐縮ですが、先日、テレビで「崖の上のぽにょ」が放送されていました。 子供向けのアニメ、と考えて何気なく子供と楽しく「ぽにょかわいーねー」などと観ていましたが、ネットで検索してみると、なにやら深い意味がある、と考えていらっしゃる方々の書き込みを発見しました。あくまで都市伝説ですが、ストーリーには独自の死生観が描かれているそう。ぽにょの本名はブリュンヒルデで、これは北欧神話のワルキューレの長姉の名前であり、ワルキューレは「死者を天上に連れていく」存在だそうです。そうすけがぽにょを連れてきたことで、津波を引き起こし多数の死者を出し、そうすけがトンネルを抜けて出た先は三途の川、リサや老人たちが待っていたのはあの世。そして、ぽにょとそうすけは約束を交わし地上に生まれ変わる。この、「生まれ変わる」というキーワードに、ヨガを学ぶ私は反応してしまいました。

 ヨガ哲学は、インド古代の哲学サーンキャ哲学がベースとなっていますが、日本人に馴染みの深い仏教とも相互に影響をうけあい今日に至ります。ヨガでは、仏教の教えと同じく命は生まれ変わる、輪廻転生するものと考えられています。最終的には輪廻の輪から抜け、解脱(帰趨)に至ることを最終目標と考えます。

 

 ヨガの経典バガヴァットギーターには、「孜々として努力するヨーギンは、その罪が清められ、多生を経て成就に達し、かくて最高の帰趨(解脱)に達する」と説かれています。

 

 たくさんの生を経験し、世界の全てを経験しつくしたら、成就(サンシッディ)に達し、輪廻の輪から抜ける事ができるのです。そのために私達は、さまざまな行為をし続ける必要があります。私達が今生で置かれている状況は、前世の行為に起因するものですし、今生での行為は、来世へ影響を及ぼすと考えれれています。自分のやったことは自分に返ってくる、などとよく言いますが、その通りです。前世・来世などと言うと、「いかがわしい」などと敬遠されてしまうかもしれませんが、もっと短いスパンでも影響は現れます。たとえば、「嫌いな人に優しくしてみたら、その人も優しくなった」「暴飲暴食をつづけていたら、病気になってしまった」などです。自分が行った行為は、いいも悪いも全て自分に返ってきます。「いやいや、なかなか返ってこないよ」という方、もしかすると、今生で返ってくるカルマ(行為)ではないのかもしれません。結果に対する執着を手放してみましょう。なかなか難しいですが。。。私も日々修行だと思っています。人生は限りあります。やりたいこと、すべきことがあると感じているのなら、迷わず飛び込んでみましょう。そして、周りの環境が自分に優しくない、困難ばかり訪れる、と感じる方、他者に変化をもたらすのは容易ではありませんが、自分を変えていくのはさほど難しくないかもしれません。勇気をだして自分を変える事で、周りの環境が変わってくることを実感できるかもしれません。ぜひ挑戦してみてください。

 

Rie



 1月の「ヨガ」のお話。


 ヨガの経典は二つあるのですが、一つはパタンジャリの「ヨーガスートラ」、もう一つは叙事詩マハーバーラタの中に編入されている「バガヴァットギーター(神の歌)」です。どちらも成立年代は今から2000年程前だと言われています。後述のバガヴァットギーターでは、武芸に秀でた戦士アルジュナが人生を迷いながら生きる私達の象徴として描かれ、対して彼のいとこのクリシュナが青い聖人として描かれ、親族と戦う事を余儀なくされたアルジュナを励ましていくというストーリーです。第三章の中で、アルジュナが行うべきダルマ(天命)を遂行すること(行為、カルマ)についての重要性についてクリシュナが説いています。人、動物、この世の全てのものは、生まれながらにしてやるべきこと(ダルマといいます)が決まっていると考えられてます。この場合、親族と戦うことをアルジュナのダルマと考え、それを行うことを励ましているのです。アルジュナは傷つけあい争うことを不必要と感じ立ち止まってしまうのですが、一見自分が望まない出来事のように見えても、周りの世界全体を見渡すことで、自分のすべき役割が見えてきます。

 

 「人は行為を企てずして、行為の超越に達することはない。また、単なる行為の放擲のみによって、成就に達することはない」という一説があります。

やるべきこと(ダルマ)を行わなければ、ヨガの繋がりに満ちた境地へ到達することはできない、と説いています。

 

 私には4歳の娘がおりまして、「アナと雪の女王」が大好きで、一緒に何度も観ているのですが、みなさんご覧になられたでしょうか??姉エルサは、自分の何でも凍らせてしまう魔力で人を傷付けてしまうのが怖くて、戴冠式の日までずっとひきこもっていましたよね。戴冠式の日、自分の魔力が知られてしまい、城を飛び出してしまいます。妹アナは、凍ってしまった町を姉のエルサなら元に戻せる、と姉を説得します。説得に応じずひきこもるエルサでしたが、最後には凍ったアナ、凍った町ともに元にもどしてくれましたよね。エルサは町を溶かす、アナとの仲直りというダルマから逃れようとずっとひきこもっていたのです。エルサは「氷を溶かすなんてやったことない」とアナに言います。うまく出来るか不安だったのです。人は遂行すべき行為(ダルマ)を行うとき、エゴが生じ迷いが生まれ、悩むのです。なぜなら、結果に執着をしてしまうからです。良い結果・悪い結果にとらわず、行為を行うこと自体を目的とすれば、怖くないし、芯がぶれません。エルサは、結果への執着を手放すことで、町を溶かすことができたのです。この場合、臨むべき結果があらわれていますね。たとえ望まない結果があらわれたとしても、いいんです。失敗ほど人を成長させるという言葉もありますが、この方法で駄目なら、また違うやり方を試そう、となるわけです。駄目なら駄目で、その行為に執着せず、手放す勇気も必要です。 

 とにかく大切なのは、過去や未来ではなく、「今」にフォーカスし、「今」やるべきことを行うことだと思います。自分のダルマが分からない方、自分のやりたいことだけ考えていてもなかなか見えてきません。周りの家族、友人、環境、全てを俯瞰して初めて、自分の役割が見えてきます。もし見えてこなければ、静かに座禅をくんで眼を閉じてみましょう。心の中にしきりに浮かんでくること、それがあなたの遂行すべきダルマかもしれません。

Rie


12月の「ヨガ」についてのお話。


みなさん、「ヨガ」と聞いて頭に浮かぶものはなんでしょう? 難しそうなポーズをしたり、呼吸に合わせて動いてみたり、眼を閉じて自分と向き合ってみたり。そんな印象でしょうか。 それもヨガの一部ですが、全てではありません。 アーサナ(ポーズ)を行うハタヨガがはじまったのは、3000年とも4000年とも言われているヨガの歴史の中ではごく最近のことです。ヨガとは、インド古代の言葉サンスクリット語で、「つながり」という意味になります。もともとは、牛や馬と車をつなぐ軛(くびき)という意味の「ユジュ」が語源となっています。牛や馬と、異なる物をつなぎ合わせる、という意味から「つながり」という意味になったそうです。 ヨガの境地とは、区別された自分と周りの世界は、実は本来全て繋がりあっている一つの大きなエネルギー体の集まりである、と悟ることだと考えられています。「あなたは何者ですか?」と尋ねられたとき、なんと答えるでしょうか。「母です」ならば子供と、「会社員です」ならば仕事と、「日本人です」ならば国籍と同一視していると言えます。それら同一視する対象を全て取り払ってしまった時、全ては結局同じである、ということに気付くことができるかと思います。 日常生活では、自分はここまでしかできない、あの人とは馬が合わない、など、線引きしてしまいがちです。全てはひとつながりである、と気づくことで、その線を取り払ってしまうことができるかもしれません。 境目などは本当は無くて、可能性を拡げるのは自分自身の心ひとつなのではないでしょうか。 極度の人見知りであがり症の私が、線を取っ払ってヨガの先生になれたんです。みなさんも、勇気を出して広い世界へ飛び出しましょう!(^^

Rie